明治八年六月十四日
【心が晴ればれしませんので】と申し上げたところ
「日々は、喜んで通らしてもらうのやで、喜べないようなひもあろう、喜びに変えて通らせてもらうのやで、日々通らしてもらう心の使い方・持ち方、よう思案してくれ。心の使い方によっては、徳にもなれば埃にもなるで、真実や誠やと思って通っていても、その真実誠の中に埃がまじるのや、それを誠の中の埃と言うのやで。心の使い方というても、我が身思案からの通り方、人に助かってもらう、喜んでもらう通り方があるのや、ちり一つ拾っても誠、大きな木とり片付けるも真実といえん場合もあるで、日々よう思案してくれ、誰でも通れることやで、心の持ち方、思い方が大事やで、心の思い方というても人間はあざないものであるから、都合のいいように考え、又は思い、我が身に都合の悪いことはそうはでけんというてしまう。そんなことで道はつくはずがない、都合のいいことも、都合の悪いことも心一つにおさめて通ってくれ、神様がきっと連れて下さるで、一つも心配いらんことやで」
「日々通る中にどんな中もあろう、難儀な中、むつかしい中、そのならん中を喜びに変えて通ってくれ、その中に御守護がいただけるのや、無理と思うてはいかんで、無理と思うやないで、無理と思えば無理になってしまうで、心通りの御守護下さるのやからさらさら思うやないで、喜びに変えて通って行く中に、あゝあ結構やった有難かったと思える日がかならずあるのやで、その日を楽しみに通ってくれ、今の苦しみは先の楽しみやで、日々を喜んで通らしてもらいなはれや」
明治十五年九月十二日
「日々に埃の心つこうて通るから御守護が頂けないのやで、人の心にいやな思いをさせる、何でもないように思うて通っているやろうが、それは人の心をころしているのと同じこと、目に見えない埃日々に積んでいったら身上にもなろう、事情にもあらわれてもきょう、みな我が身が苦しむことになるのやで」
「日々に通らせてもらうには、むつかしいことは何もない、ただ真実の心で、かりものという理をしっかり心に治めて、ありがたいけっこうやというて思うて明るい心で通ってくれ、神様がかならず御守護下さるで」
「日々に朝起き、正直、働き、この三つを心において通らせてもらうのやで、けっこうな日々が通れるで、かりものということわからねばこの道は通れないで」
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