明治十五年四月五日
「かりものという理心に治まったら、どんな中でも神様はつれて通って下さるのやで、いくら口でといたとてその心にならにゃ何にもならん、心に治まったらない命でもつないで下さるで、心配ないらん、日々通る心の持ち方がむつかしいのや」
「日々通る心の持ち方は自分勝手な心使いでは御守護は頂けないで。気ずい気ままな心使いで日々通っていると、頂ける御守護も頂けない、こんなことは分かっているやろ、ここのところよく思案してくれ」
「かりものということよく心にしっかり治めてくれ。かりものという事は、神様からこんな結構な身体をかりているということをよく心に治めることやで、これが分かればそれでよいのや、よく心に治まれば、どうして御礼をさせて頂こうかと思えてくるで、その思えてきたことをそなえさせてもらうのや」るで、その思えてきたことをそなえさせてもらうのや」