「日々は、喜んで通らせてもらうのやで」
「喜べないような日もあろう、喜びにかえて通らせてもうのうやで」
「真実の心で通らせてもらえれば喜べるのや、真の心で通らせてもえれば、喜べるのや、誠の心で通ってくれ」
「日々通らして貰う心の使い方に持ち方、よう思案してくれ」
「心の使い方にうよっては徳になれば埃りにもなるで、真実や誠と思うて通っていても、その真実誠の中に埃がまじるのや、それを誠の中の埃と言うのやで」
「心の使い方と言うても、我が身思からの通り方、人に助かって貰う、喜んで貰う通り方がるのや、ちり一つ拾うても誠、大きな木とり片付けても真実といえん場合もあるで、日々よう思案してくれ、誰でも通れることやで、心の持ち方、思い方が大事やで、心思い方と云うても人間はあざいないものであるから、都合のいいように考へ又は思い、我が身に都合の悪いことはそうはでけんない、都合のいいことも、都合の悪いことも心一つにおさめて通ってくれ、神様がきっとつれて通って下さるで、一つも心配いらんことやで。」
「日々通る中にどんな中もいろう、難儀な中、むつかしい中、そのならん中を喜びにかえて通ってくれ、その中に御守護がいただけるのや、無理と思うてはいかんで、無理と思うやないで、無理と思えば無理になってしまうで、心通りの御守護下さるのやから、さらさらに思うやないで」
「喜びにかえて通って行く中にあゝ結構やった、有難かったと思える日が、必ずあるのやで、その日を楽しみに通ってくれ、今の苦しみは先の楽しみやで、日々を喜んで通らせて貰いなはれや」
「神様のお話は守らし貰わにゃいかん、守らんによって御守護が頂けないのや。神様のお話を守らして貰うから身が守られるのやで」
「心の守りが身の守りになるのやで」
「神様のお話はむつしい事ないのやから、すぐにでもさせて貰はにゃいかん。守るから守られるのやで、忘れたたらいかんで」
「守るということは、聞かして貰うたことだけでなく、自分が定めたことも、守らして貰わにゃいかん、定めたこと守らんようだったら、守って頂けなくなるだけの事や、守って頂けなるということは、身上を守ってもらえないことや」
「人間同志の間でも、守るからお互いに守られるのや、約束したら守らにゃいかん、人の真実を無にするような事したらいかん。人を待たせると云う事は、人をしばる事と同じやで、人をしばることは物をとるより悪い、なんでもないように思うて居るかもしれながいが、人の真実無にしたら自分が守って貰えんようになるで」
「人をしばることは、人の自由をさまたげるもの、御守護の理をとめることにもなるで、こゝのところよう思案してれ」」「どんなことなるやらしれんで」
「時は大切になけりゃいかん、時は守るおとによっていかされる、守らない時ならいらないやろ」
「まもるということは、人の真実やで」
「真実の心で日々通らせて貰わにゃいかん、真実やったら神様は守って下るで、神様にまもって貰っておけば日々安心やで」
「なんでも守らして貰う心になんなはれや、神様はきっと守って下るで」
「人に呼ばれたらすぐにハイと返事をするのやで、あれやこれやとうけことえするのやないで、すなおにハイと返事をしなはられや」
「よばれた時、ハイと返事をせんで、今外へ行くところやなんて返事をしたらいかんで、人間はなあ、みんなそんな返事をするのや、それでいゝと思うている、誠の中のほこりやで」
「神様に対しても同じとが言える、よう考えて見い」
「蛙の子はお玉やで、これはわかっているやろ、お玉は自分は蛙の子やと仲々、納得できないやろ、蛙とお玉は全然違うからなあ、お玉は何時まで鮒やどじょうと一緒
居たいと思うやろ、それと同じような事が人間にも云える」
「人間はなあ、人間として生きる道は考えて通るdさろうが、神の子をしての道が本当
に通れるだろうか。こゝの処よう思案して見い」
「くらい思う前に先ず灯をつけることを考えにゃいかんで」
「男、女のへだてないと云うても男が女のようになり、女が男のようになってしもうたら道がのうなってしまう、何と云うても男は天や、女は地やで、天と地では大分ちがう、こゝの処よう思案しなけれゃいかん」
「夫婦が仲よう通らして貰うにはなあ、どんなことがあっても女は地やから天をたてて通らせて貰わにゃ地の理はなくなってしまう、地はどこまでいっても
天にはとどかんもの、こんなことわかっているやろ、女が天に手をどゞかそうとするから、けがをするのやで、女は台やで、女は台やで、台は大きなけりゃいかん、台がちいさいとひっくりかえるで」
「天のあるところ地がなけりゃいかん、この理よう思案しなはれや」
「女の通る日々の心使いは男より難しいで、ものゝの云い方、ものの聞き方、することなすこと一つ一つが男と違う、男は男の通る道、女には女の通る道があるで」
「女の通る日々の心使いはなあ、むつかしいものや、女は常に嫁に行くときのような心をもって其の心わすれず、日々通らせて貰えればよいのやで」
「言うとによく注意をして、どげのたゝぬようやさしく言わにゃいかん、女というものはついじゃけんなものの云い方をするものやで、男が聞いたらあれでも女かいなあと思われるようなことやったらもう女やないで」
「女の人はものゝの見方でも半分しか見ないものや、ものは両面見なけりゃいかんのや」
「障子一つしめたりあけたりするもの座ってするものや、その動作は美しく見えるものやで」
「女は男と違いぐちの多いものや、心で申し訳ないと思っているうちはいゝけどれど、それが口にでるようになってしまうとぐちになるのやで、不足の心を持つのも男より女の方が多い、夫婦の中で婦が不足の心を持って通っていると、その理は夫に移っていくで、
女は常にやさしい心が、天をたすけていくのやで、こゝの処よう思案しなけりゃ女はいかんで」
「女の人に随分無理を云うようだが、決して無理を云うているのやないで、女の心一つで家も国もほろんでしまうような事になるやから女は心して日々通らせてもらうのやで」
「婦は夫にさからわぬよう、何でもはい/\と云うて夫にしたがい、低い心で通らしてもうのやで、低い心で通らしてもらえれば、あとは神様がつれて通って下るで、なにも心配はいらん、はい/\と云うて通るのが、損をするような考えもったらいかんで」
「女は男に対してよく口がたえするものや、その口ごたえがいかんのやで、それを云わずに心を治めて通ってくれにゃ女とはいわれん、こゝの処よう心に治めておきなはれや」
「神様は男も女もへだてなくつれて通って下さるのやから、心大きく持って、日々
通らにゃいかんで、へだてなくつて通って下さるのは、男と女が同じということではないで、御守護は同じであっても男には男の理があるで、女は女やで、こゝの処よう思案しなけれりゃいかん」
「女は男に無理を言われるとすぐにつのを出すもや、つの出して通ったらいかん、なんでも心に治めて通らして貰いはなれや」
「日々心に治めて通らしてもらえればこを、女としての徳がつめるのや、女としての徳というのはなあ内うち丸く治まるという理になのやで、女の心の使い方がおさまる理にも、おさまらぬ理にもなるのや、治めて通らして貰うのが女として第一の道や、無理云うているのやないで、女の通る道は難しいものやからよう心して、日々通ってくれにゃいかんで」
「男の人にはなあ、神様のお話を聞いて貰わにやならん、女の人には女の道をよう心に治めてもらわにゃならん、女の道と云うは、一口で云へば真実の道やで、真実とは低いやさしいすなおな心を云うのやで、ひくいやさしいすなおな心とは、女の人のためにあるような言葉や、男にはひくい心、親にはすなおな心、子にはやさしい心になって日々通らして貰うのやで」
「女の人は常に真実の心で通らして貰うていたら、必ず人はついてくるのや、それが女の人の真の通る道やで」
女の人は身びいき身勝手の多い心でつこうて通る人にもたれすぎる。親に主人に子供
一生もたれて通ってしまうような日々を通る」
「人にあゝさせよう、こうさせようと思う心で通っているから自分の身がたゝなくなるような事になってしまう、こゝの処よう考えて通ってくれ」
「女の人はすることなすことにおいても。自分がすると人にもさせたくなるものやが、なん人にさせようと思うても、なんにもならん、人がさせて頂かなけりゃと思う心になるようしてやってくれ」
「この道は人にさせる道やないで、めい/\一人/\が自分からつとめさせて貰う道やから、人がどうのこうの云うやないで」
「自分がつとめさせて貰う時でも、人にさせようと思う心持ったらいかんで」
「男の人に対しての心の使い方によって、その理のあらわれるのは、お産の時にようわからしてもらえるのやで、お産は日々の心の使いのあらわれではない、お産は病ではない、女は誰もが通る道のやから、一つも心配はいらん、だが男に対しての心の持ち方、考え方がどのようになるやらしれんで、そのあらわれてくるのは、女の病やで、女がその病いでたおれるような事やったら、神様に対して申し訳ないで」
Copyright © 2022 FURUNOSATO. All Rights Reserved.